二人の時間を30秒で見る
| 年 | 徳川家康 | シェイクスピア |
|---|---|---|
| 1542/43 | 家康誕生。日本の旧暦では天文11年12月26日。 | — |
| 1564 | 20代前半 | ストラトフォードで誕生。4月26日に洗礼記録。 |
| 1599 | 豊臣政権下で有力大名 | グローブ座の共同経営者となる時期。 |
| 1600 | 関ヶ原の戦いで東軍を率いる | 『ハムレット』推定執筆時期の中にある。 |
| 1603 | 征夷大将軍に任じられる | 所属劇団が国王一座となる時代。 |
| 1616 | 死去 | 死去 |
家康はシェイクスピアより約20年早く生まれた
国立公文書館の年表では、徳川家康は天文11年(1542)12月26日、三河国岡崎城内で生まれたとされています。西暦への換算方法の違いから一般向け資料では1543年生まれと表記されることもあります。
シェイクスピアは1564年4月26日に洗礼を受けた記録が残っています。正確な誕生日は分かっていませんが、4月23日ごろの誕生とする伝承があります。
年齢は同じではありません。家康の方が約20年上です。
それでも二人の人生は長く重なり、16世紀後半から17世紀初頭という同じ世界を生きています。
1600年、家康は関ヶ原へ。シェイクスピアはロンドンで活動中
1600年、日本では関ヶ原の戦いが起きました。
国立公文書館の家康年表には、慶長5年9月15日に関ヶ原の合戦があり、西軍が大敗したことが記されています。
一方、イングランドではシェイクスピアがすでに著名な俳優・劇作家として活動していました。
フォルジャー・シェイクスピア図書館は、『ハムレット』の執筆時期を1599〜1601年ごろとしています。
したがって、家康が関ヶ原で戦っていたころ、シェイクスピアは『ハムレット』を書いていた可能性が高い時期です。
ただし『ハムレット』を「1600年に完成した」と一点で断定することはできません。このサイトでは年代幅をそのまま示します。
二人はともに1616年に亡くなった
もう一つ印象的なのが1616年です。
国立公文書館によれば、家康は元和2年(1616)4月17日に死去しました。
フォルジャー・シェイクスピア図書館によれば、シェイクスピアは1616年4月23日に死去したとされています。
二人とも1616年に亡くなっています。
ただし、当時の日本とイングランドでは使用していた暦が異なるため、「6日違いで亡くなった」と単純に計算するのは不正確です。ここで重要なのは、二人の生涯が同じ1616年まで重なっていたことです。
家康とシェイクスピア本人が会ったことはある?
二人が直接会ったという事実は確認されていません。
日本とイングランドは地理的にも遠く、シェイクスピアが日本を訪れたことも、家康がヨーロッパへ渡ったこともありません。
しかし、「接点がない」で終わらないのが1600年前後の面白いところです。
二つの世界をつなぐ人物、ウィリアム・アダムズ
1600年、オランダ船リーフデ号が豊後へ漂着しました。その乗員の一人が、イギリス人航海士ウィリアム・アダムズです。
国立国会図書館によると、アダムズは徳川家康に信任され、外交顧問としても活動し、「三浦按針」と呼ばれるようになりました。
つまり、シェイクスピアと同じイングランド社会から来た人物が、関ヶ原の年に日本へ到着し、家康本人と直接関係を持つことになります。
シェイクスピア本人と家康を結ぶ線ではありません。それでも、二人が生きた世界の間には、すでに人が実際に移動できる経路が存在していました。
1613年にはイギリス船が日本へ来航する
二人がまだ存命だった1613年、イギリス船クローブ号が平戸へ来航し、イギリス商館が設けられました。
平戸市関連資料では、家康の外交顧問だったウィリアム・アダムズが英国商館設置にも関わったことが紹介されています。
この時点になると、家康の日本とシェイクスピアのイングランドは「同時代」というだけでなく、通商と外交を通じて具体的に接続し始めています。
二人の人生を横に並べると見えること
家康の人生を日本史だけで追うと、桶狭間、信長、秀吉、関ヶ原、江戸幕府という流れになります。
シェイクスピアの人生を英国史・文学史だけで追うと、エリザベス1世期、ロンドンの劇場文化、グローブ座、戯曲作品という流れになります。
ところが横に並べると、二つは別の「昔」ではありません。
同じ地球上でほぼ同時に進んでいた出来事です。
しかも、その二つの地域の間をウィリアム・アダムズのような人間が実際に移動し始めていました。
最初の問いに戻る
徳川家康とシェイクスピアは同じ時代だったのでしょうか。
答えは、はっきり「同じ時代」です。
家康の方が約20年早く生まれていますが、二人は16世紀後半から17世紀初頭をともに生き、関ヶ原と『ハムレット』の時期はほぼ重なります。
そして二人はともに1616年に亡くなりました。
人物を横に並べるだけで、「日本史」と「世界史」の距離はかなり縮まります。
今、その歴史を訪れるなら
家康側では、岡崎、関ヶ原、駿府、久能山などに関連史跡があります。
シェイクスピア側では、イングランドのストラトフォード・アポン・エイヴォンやロンドンが中心です。
そして二つの世界を実際につないだウィリアム・アダムズの足跡は、大分県臼杵市、神奈川県横須賀市、長崎県平戸市などにも残っています。
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主な参考資料
国立公文書館「徳川家康―将軍家蔵書からみるその生涯― 関係年表」 — 家康の生涯、関ヶ原、1616年の死去。
Folger Shakespeare Library, “Shakespeare's life” — 1564年の洗礼記録と1616年の死去。
Folger Shakespeare Library, “Hamlet” — 『ハムレット』の推定執筆時期。
国立国会図書館「日蘭交流の始まり」 — リーフデ号、ウィリアム・アダムズと家康。
平戸英国商館設置400周年記念事業資料(国立国会図書館デジタルコレクション) — 1613年のクローブ号と英国商館。