幕末を30秒で見る
| 年 | 日本 | 世界 |
|---|---|---|
| 1853 | ペリー来航。ロシアのプチャーチンも来航。 | クリミア戦争が始まる。 |
| 1854 | 日米和親条約。 | 英仏がクリミア戦争に参戦。 |
| 1856 | 開国後の外交交渉が続く。 | 清と英仏の戦争が拡大。 |
| 1857 | 通商条約交渉の時期。 | インドで大規模な反乱。 |
| 1858 | 日米修好通商条約、安政の五カ国条約。 | 清も天津条約を結ぶ。 |
| 1860 | 万延元年遣米使節。 | アメリカは南北戦争直前。 |
| 1861 | 幕府が存続。 | イタリア王国成立、アメリカ南北戦争開戦。 |
| 1867 | 大政奉還。 | 世界各地で19世紀国家体制の再編が進む。 |
| 1868 | 戊辰戦争、明治改元。 | — |
このサイトでは、1853〜1868年を中心に見る
「幕末」の始まりをどこに置くかには複数の区切り方があります。このページでは、世界との接続を追いやすくするため、1853年のペリー来航から1868年の明治改元期までを中心に見ます。
わずか15年ほどの間に、開国、通商条約、遣米・遣欧使節、攘夷運動、薩英戦争、下関戦争、大政奉還、王政復古、戊辰戦争へと状況が大きく変化しました。
1853年、日本に黒船。ヨーロッパではクリミア戦争
1853年、日本ではペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀沖へ来航しました。
同じ年、ロシアとオスマン帝国の対立からクリミア戦争が始まりました。英国国立公文書館はこの戦争を1853〜1856年として整理しています。
そして日本には、ペリーだけでなくロシアのプチャーチンも1853年に来航します。
ロシアはユーラシア西側でオスマン帝国と戦争へ入りながら、東端では日本との国境・通商交渉を進めていました。
1858年、中国との交渉を終えたエルギンが日本へ来た
幕末と世界史の直接接続が特によく見えるのが1858年です。
外務省外交史料館によると、英国は清との天津条約を結んだばかりのエルギン伯に、日本とも通商条約を結ぶよう命じました。その結果、1858年8月26日に日英修好通商条約が調印されました。
同じ1858年、日本はアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダとの修好通商条約、いわゆる安政の五カ国条約を結びました。
中国で進んでいた西欧諸国の外交・通商拡大と、日本の開国交渉は、実際に同じ外交官の移動によってつながっていたわけです。
1857年、インドでは大規模な反乱
1857年、インドではイギリス東インド会社の支配を揺るがす大規模な反乱が起こりました。
英国のNational Army Museumは、1857年に始まった反乱を、イギリスのインド支配に対する最大級の脅威として紹介しています。
同時期、日本では欧米諸国との通商条約交渉が進んでいました。
日本、中国、インドを別々の章として見るだけでは分かりにくいですが、1850年代のアジア各地は、ヨーロッパ諸国の軍事・交易・帝国支配の拡大と向き合っていました。
1860年、日本の使節がアメリカへ渡った
開国後、移動は外国から日本への一方向だけではありません。
1860年、江戸幕府は日米修好通商条約の批准書交換のため、万延元年遣米使節をアメリカへ派遣しました。
外務省外交史料館の調査によれば、使節は横浜を出航し、ハワイ、サンフランシスコ、パナマを経てワシントンへ到着。ブキャナン大統領と会見し、その後は大西洋、アフリカ、インド洋、香港を回って日本へ戻っています。
国立国会図書館にも、1860年5月に使節団がホワイトハウスでブキャナン大統領と謁見した記録が紹介されています。
そのアメリカは、翌1861年に南北戦争へ
アメリカ国立公園局によると、南北戦争は1861年から1865年まで続きました。
つまり、日本の使節がワシントンを訪れたのは南北戦争が始まる前年です。
彼らが見たアメリカは、後世から見た「完成された近代国家」ではなく、まもなく大規模な内戦へ入る直前の社会でした。
この時間差を知ると、「日本は遅れていて欧米はすでに安定していた」という単純な図式では捉えにくくなります。
1861年、ヨーロッパではイタリア王国成立
1861年3月17日、イタリア王国が成立しました。イタリア共和国大統領府や上院の資料でも、この日が王国成立の節目として示されています。
同じ1861年、アメリカでは南北戦争が始まり、日本ではまだ徳川幕府が続いています。
それぞれ原因も制度も違いますが、1860年代には複数の地域で国家の枠組みや統治の形が大きく変化していました。
幕末は「外国が日本へ来た時代」だけではない
1853年にはペリーやプチャーチンが日本へ来ました。
しかし1860年には日本の使節がアメリカへ渡り、その後も幕府は欧州へ使節を送ります。
つまり幕末は、外国船を岸から眺めるだけの時代から、日本人自身が世界へ出て、条約・制度・技術・都市を直接見る時代へ急速に変わった時期でもあります。
最初の問いに戻る
幕末のころ、世界では何が起きていたのでしょうか。
クリミア戦争、清と英仏の戦争、1857年のインド大反乱、イタリア王国成立、アメリカ南北戦争など、大きな変化が続いていました。
そして日本は、それらと離れた場所で独自に変化しただけではありません。
エルギンのように中国から日本へ移動した外交官がいて、日本の使節はアメリカやヨーロッパへ渡りました。
幕末は、日本が世界史へ突然「登場した」時代ではなく、人・船・条約・情報の移動を通じて、世界との接続密度が急激に高まった時代と見ることができます。
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黒船来航のころ、世界では何が起きていた?
→南北戦争のころ日本は?/クリミア戦争のころ日本は?/1867年大政奉還×世界へ展開。
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浦賀・久里浜、横浜、下田、長崎、鹿児島、下関、函館など、幕末の世界接続を現在の場所からたどれる地域は多数あります。
「旅の入口」に対応する歴史旅ページができた地域から、順次サイト間リンクを追加します。
主な参考資料
外務省外交史料館「外交史料 Q&A 幕末期」 — 1858年の安政の五カ国条約。
外務省「日英交流事始」 — 天津条約後のエルギン来日と日英修好通商条約。
外務省外交史料館/レファレンス協同データベース「万延元年遣米使節の航路」 — 1860年の渡米・世界一周航路。
国立国会図書館「日本人、アメリカ大統領に出会う」 — ブキャナン大統領との会見。
The National Archives, “The Crimean War” — 1853〜1856年。
National Army Museum, “Indian Mutiny” — 1857年の反乱。
U.S. National Park Service, “Civil War Facts” — 1861〜1865年の南北戦争。
Presidency of the Italian Republic, “Italian Tricolour Flag” — 1861年3月17日のイタリア王国成立。