1853年を30秒で見る
| 時期 | 日本・東アジア | 世界 |
|---|---|---|
| 3月 | — | 太平天国が南京を占領し、拠点とする。 |
| 7月8日 | ペリー艦隊4隻が東京湾へ入る。 | — |
| 8月 | ロシアのプチャーチンが長崎へ来航。 | — |
| 1853年 | 幕府が複数国への対応を迫られる。 | クリミア戦争が始まる。 |
| 12月30日 | — | アメリカとメキシコがガズデン購入条約に調印。 |
| 1854年 | 日米和親条約。 | 英仏がロシアとの戦争へ参戦。 |
1853年7月、ペリー艦隊が日本へ来航
アメリカ国務省歴史局によると、1853年7月8日、マシュー・ペリー率いる4隻の艦隊が東京湾へ入り、日本との継続的な外交・通商関係を求めました。
アメリカ議会図書館にも、1853年のペリー遠征を描いた同時代資料が残っています。
翌1854年、ペリーは再来航し、日米和親条約の締結へつながります。
日本はそれまで世界と完全に切れていたわけではない
「鎖国」という言葉から、日本が外国との接触を完全に絶っていたように感じることがあります。
実際には、長崎などを通じて中国やオランダとの交易は続いていました。アメリカ国務省歴史局も、外国貿易をゼロにしたのではなく、相手と窓口を限定していたことを説明しています。
1853年の変化は「外国を初めて知った」ことではなく、従来の限定された外交・交易の仕組みでは処理しにくい圧力が一気に強まったことにあります。
ペリーの翌月、ロシアのプチャーチンも来航した
黒船来航を「アメリカ対日本」だけで見ると、1853年の状況を狭く捉えてしまいます。
外務省によると、1853年8月、ロシア艦隊司令長官プチャーチンがパルラダ号で長崎へ来航しました。国境画定と開国・通商を求める国書を持参し、日本との条約交渉を始めます。
その交渉は1855年の日露和親条約へつながりました。
ペリーの翌月には、別の大国ロシアが別の港から日本へ来ていたのです。
そのロシアは、西側では戦争に入っていた
同じ1853年、ロシアとオスマン帝国の戦争が始まり、やがてイギリス・フランスなども加わるクリミア戦争へ発展しました。
英国国立公文書館は、クリミア戦争を1853〜1856年として整理しています。
世界地図を広げると、ロシア帝国は西側で大規模な戦争へ入りながら、極東では日本との外交関係を築こうとしていました。
この同時性は、ロシア帝国の地理的な広がりをよく示しています。
中国では太平天国が南京を拠点にした
1853年、中国では太平天国の勢力が南京を占領し、首都「天京」として拠点化しました。
中国文化関連の公的資料でも、1853年に太平天国が南京を首都としたことが紹介されています。
つまり黒船が浦賀へ来たころ、中国大陸では清朝を大きく揺るがす内戦が進行中でした。
日本、中国、ロシアを別々の歴史として切り分けるより、同じ1853年の東アジア・ユーラシアとして見ると、地域全体の不安定さが見えます。
アメリカも、日本だけを見ていたわけではない
ペリーを派遣したアメリカは、同じ1853年にメキシコとの国境・領土交渉も進めていました。
アメリカ国務省歴史局によれば、1853年12月30日、アメリカとメキシコはガズデン購入をめぐる条約に調印しました。翌1854年に修正・批准され、現在のアリゾナ州・ニューメキシコ州南部の一部となる地域がアメリカ領になります。
同局は1853年前後を「外交と西方拡大」の文脈で整理し、その中に「日本開国」と「ガズデン購入」を並べています。
北米大陸で西へ拡大してきたアメリカの活動圏が、そのまま太平洋の向こう側へ伸びていく時期でした。
1853年を一本の地図にすると
日本:ペリーが浦賀へ。
長崎:プチャーチンがロシアから来航。
中国:太平天国が南京を拠点化。
ロシア西方:オスマン帝国との戦争が始まる。
北米:アメリカがメキシコとの新たな国境交渉を進める。
原因が一つの出来事ではありません。しかし、人・軍艦・商品・国家の影響圏が長距離を動いていたという共通する時代背景があります。
黒船来航は1853年だけで終わらない
ペリーは国書を渡すと、その場で回答を待ち続けたのではなく、翌年戻ることを告げました。
1854年に再来航し、日米和親条約が締結されます。そして1858年には日米修好通商条約へ進みました。
つまり1853年は、1853黒船 → 1854和親条約 → 1858通商条約という流れの入口です。
最初の問いに戻る
黒船来航のころ、世界では何が起きていたのでしょうか。
中国では太平天国が南京を拠点とし、ロシアは西でオスマン帝国との戦争へ入り、そのロシア自身が東では日本へプチャーチンを派遣しました。アメリカも北米の領土・国境問題を進めながら太平洋へ活動範囲を広げていました。
黒船来航は、日本だけの孤立した事件ではなく、19世紀半ばの世界的な外交・軍事・海運の拡大が日本列島へ具体的に届いた出来事でした。
関連する「同じころ。」
今、その歴史を訪れるなら
久里浜・浦賀、横浜、下田はペリーと開国の歴史をたどる主要地点です。
長崎ではプチャーチン来航を含む幕末外交の別ルートを見ることができます。
主な参考資料
U.S. Department of State, Office of the Historian, “The United States and the Opening to Japan, 1853” — 1853年7月8日のペリー来航と背景。
Library of Congress, “Perry's first landing at Kurihama, July 8, 1853” — 1853年のペリー遠征資料。
外務省「幕末期 日露関係」 — 1853年8月のプチャーチン来航と日露交渉。
The National Archives, “The Crimean War” — 1853〜1856年の戦争。
ChinaCulture.org, “The History Museum of Taiping Heavenly Kingdom” — 1853年の南京と太平天国。
U.S. Department of State, Office of the Historian, “Gadsden Purchase, 1853–1854” — 1853年12月30日の条約調印。