先に答えると:1492年の日本は室町時代後半です。応仁の乱(1467〜1477年)の後で、幕府の統制力が弱まり、各地の争いが深まっていく時期でした。コロンブスの航海から、ポルトガル人を乗せた船が種子島へ漂着する1543年までは約51年あります。
クリストファー・コロンブスとされる男性の肖像画
コロンブスとされる男性の肖像。The Metropolitan Museum of Art / Wikimedia Commons(CC0 / Public domain)

1492年を30秒で見る

場所1492年前後
日本室町時代後半。応仁の乱終結から約15年。
大西洋・カリブ海コロンブスの船団が大西洋を西へ横断し、カリブ海の島々へ到達。
イベリア半島1492年1月、グラナダがカトリック両王側へ引き渡される。
日本への次の接点1543年、ポルトガル人を乗せた中国船が種子島へ漂着。火縄銃が伝わる。

1492年の日本は、室町時代後半

1492年の日本は室町時代です。

応仁の乱は1467年から1477年まで続きました。国立国会図書館の典拠でも、応仁の乱は1467〜1477年として整理されています。

つまり1492年は、応仁の乱が終わってからおよそ15年後です。

室町幕府そのものはまだ存在していましたが、各地では守護や国人など地域の勢力関係が変化し、のちに「戦国時代」と呼ばれる状況へつながっていく時期でした。

「コロンブス=近世ヨーロッパ」「日本=戦国武将」という印象から、もっと後の出来事のように感じるかもしれません。しかし1492年は、織田信長が生まれる1534年より42年も前です。

コロンブスは1492年、どこへ到達した?

1492年、クリストファー・コロンブスはスペイン王室の支援を受け、西回りでアジアへ向かう航路を求めて大西洋へ出航しました。

その航海で到達したのは、現在のカリブ海地域です。アメリカ議会図書館は、コロンブスが自分はアジアへ到達したという考えを生涯捨てず、その後もカリブ海へ複数回航海したと説明しています。

そのため、このサイトでは「1492年にアメリカを発見した」と単純化せず、「大西洋を渡り、カリブ海へ到達した」と書きます。

そこにはコロンブス以前から多くの先住民社会が存在していました。アメリカ議会図書館も、1492年以前から西半球には多様な社会と国家が存在していたことを明記しています。

同じ1492年、グラナダでも大きな転換があった

1492年はコロンブスの航海だけの年ではありません。

同年1月2日、イベリア半島ではナスル朝グラナダがカトリック両王側へ引き渡されました。アルハンブラ宮殿の公式機関も、1492年1月2日にカスティーリャ側の部隊が入城したことを記録しています。

つまり、コロンブスが出航する年のスペインは、イベリア半島内部でも大きな政治的転換を迎えていました。

同じ「1492」という数字に、地中海世界の変化と大西洋航海の拡大が重なっています。

日本とコロンブスの航海に、直接の接点はあった?

1492年時点で、コロンブスの航海と日本の間に直接の接点があったと見るのは適切ではありません。

コロンブスは西回りでアジアを目指しましたが、日本へ来たわけではなく、当時の日本社会と接触したわけでもありません。

このページで面白いのは、「直接つながっていた」ことではなく、世界の航海圏が大きく変わり始めた時代と、日本の室町後期が同じ時間に重なっていたことです。

では、日本とヨーロッパはいつ接続する?

一つの分かりやすい節目は1543年です。

鹿児島県の資料によると、1543年、ポルトガル人を乗せた中国船が種子島へ漂着し、火縄式鉄砲が伝えられました。

1492年から1543年までは約51年。

コロンブスの航海そのものが日本へ直結したわけではありませんが、15世紀末から16世紀にかけてヨーロッパ勢力の海上活動が拡大し、その半世紀後には日本列島にもポルトガル人が現れるようになります。

世界で航路が広がる速度と、日本がそのネットワークへ接続するまでの時間差を見る。これも「同じころ。」の重要な見方です。

日本の種子島火縄銃
日本の種子島火縄銃。写真:PHGCOM / Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)

1492年から1543年までの約51年

出来事
1477応仁の乱が終結。
1492コロンブスの最初の大西洋横断航海。カリブ海へ到達。
1492グラナダがカトリック両王側へ引き渡される。
1534織田信長が生まれる。
1543ポルトガル人を乗せた船が種子島へ漂着。鉄砲伝来。
1549フランシスコ・ザビエルが鹿児島へ上陸。

最初の問いに戻る

コロンブスが大西洋を渡った1492年、日本は何時代だったのでしょうか。

答えは、室町時代後半です。

応仁の乱が終わって約15年。日本では室町幕府のもとで地域の政治秩序が揺れ動いていました。

一方、大西洋ではヨーロッパからカリブ海への継続的な接触が始まり、イベリア半島でも大きな政治変化が起きていました。

そして約51年後、ポルトガル人を乗せた船が種子島へ到達します。

1492年は、日本史と世界史がまだ直接つながっていないように見えながら、その距離が急速に縮まり始めていた時代として見ることができます。

今、その歴史を訪れるなら

日本側では、室町後期の京都や応仁の乱に関係する史跡をたどることができます。

さらに約半世紀後の接続地点として、鹿児島県の種子島には鉄砲伝来に関する歴史が残っています。

世界側では、スペインのグラナダにアルハンブラが残り、1492年の転換を現在の場所から見ることができます。

主な参考資料

国立国会図書館 NDLサーチ「応仁の乱(1467-1477)」 — 応仁の乱の年代。

Library of Congress, “Christopher Columbus: Man and Myth” — 1492年航海の目的とカリブ海への航海。

Library of Congress, “What Came To Be Called America” — 1492年以前の西半球の社会。

Patronato de la Alhambra y Generalife — 1492年1月2日のグラナダ。

鹿児島県「鉄砲伝来」 — 1543年の種子島とポルトガル人。